船室4043讃歌


 4043の船室は41回クルーズの時に予約していた。小さいけれど私のお気に入りで、荷物も部屋に合わせて持って来た。2回めになると無駄な不安や心配は減るけど,強い刺激も減るのがわかる。いい加減な私はすぐに慣れてしまうのだ。


  約2.5米x2.5米の面積の中に、セミダブルのベッド、作り付けの机、60x50センチのプラッカ−ルが2つある。荷物を収納するのはまるでパズル、よくあれだけの物が収まったものだと我ながら感嘆。手をのばせば何でも取れるのは良いが,揺れが激しかったり、酔っぱらった時にはアチコチぶつけて,いつも身体は痣だらけ。
  トイレは100キロの人は無理だと思うが,70キロの私が便器にやっと座れるくらい狭い。シャワー室はまあまあの大きさ。水量は少ない。
  家具が新しいので部屋は明るい。それに170万という値段を考えれば、我慢のしどこだと思う。41回クルーズで揉めた揚げ句手に入った部屋だから、それに、住めば都主義の私は,文句をいうより、楽しく我慢をするやり方のほうが身に付いている。

  41回の時は、6階の60100、プラッカールが一つしかないので、その分だけ広かった。でも、家具は古く、しかも戸が閉まらないので,私は荷札のゴムを編んだ紐で、取っ手をほかに引っ掛けて閉めていた。トイレのドアも余程の力をいれないと閉まらない。レセプションに言っても我慢して下さいというだけ。
  それに4階は船が沈む時は早く,下船する時は一番遅くなる。私の部屋は レストランの後ろなのに直接入れなくて、一度5階に上がって歩いてまた 4階に下がって入り口にたどりつかねばならない。それでも、部屋の両側も後ろも物置なので、気兼ねなしに大きな声で歌の練習が出来るのが良い。

  41回の時、この船は文句をいう人には部屋を替えると、降りる頃になって聞いたが,私などは舐められていたのか、騒ぎに巻き込まれなければ、何も知らずに降りるところだった。

  今だって、シャワーもせいせい出ないし、洗面器に至っては90日近くの間20日間くらいは、やっと流れたかなという程度。メイドのオルガは、100回も修理を頼んでいるのに、詰まってばかりいると嘆いて可哀そう。
  水は長い間茶色かった。レセプションや, 何人もの人が,船長までが見に来て,これは酷いと,ミネラルウオーターを毎日くれているうちに、南アから帰って来たら4階全部の配管を替えたということで、白ワイン色に変わっていた。
  水は、船で海水をこしてつくっているので、真っ白というわけにはいかない。 タオルは、6階のは白くてふわふわ, 手拭き,中判、大判と3枚。4階は汚れ色で固く、手拭きはない。3階はもっと酷いと誰かが言っていた。

  ぼろ船だから仕方ないとしても、私の部屋の入り口は、しょっちゅう、上からぽたぽた水が落ちてくる。原因は分からない。いつでも、どこかで、修理をしているのが、古雑巾に継ぎを当てるようで、実に空しい。



  部屋の椅子ときたら、フィリピンのゴミの山から拾って来たかと思うくらい、禿げちょろけで、布もドロドロに汚れている。とても部屋の中に置くような代物ではないので、ブラシで洗ってみた。全然落ちない。
  モケットの床も、濃いシミが付いていて、ついでに洗ったが、余程古いのか落ちない。ジャパングレイスの本山さんは、41回の時、4043を決めるのに立ち会ったのに、いい部屋を探しましょうか、と何度も言ってくれた。
  ということは、彼も私の部屋の酷さを自覚しいているのかも。私は、男と部屋は変えない主義だから、いいよと断って居座っているが、せめて、流しと椅子の事については考えてもらいたい。
  すっきり流すためには、配管全部を替えなければならないかも! それで船が壊れてしまっては元も子もないが,近代化の世の中,何とかならないのだろうか?
  いつも駆けつけるオジさんが失職しないためには、このまま「詰まったらきてもらう」を続けた方が良いのかもと思ったりもするのだが。
  いうなれば、船全体が欠陥商品なのだから,提供するピースボート側は、それなりの考慮はしているのだろうけれど、経営構造の問題もあって、船側と客側の温度差は避けられない。
  それなのに、結局私は、46回の北回りも、すんなり予約してしまった。勿論4043に住む予定で。

  船は、一度惚れた性悪の男みたいなところがあって,なかなか別れられない。
  それに、これを老化というのだろうか、娑婆で毎日、昼夜2度の食事を作るのが少し苦労になってきた。しようがない女の面倒をみている、手伝っていると自分を信じ込んでいるお邪魔虫の亭主を離れて、仕事だけしたい。ようするに窓のない穴蔵暮らしでも,住めば都で懐かしいのだ。